翌日、は気だるい朝を迎えた。身体を起こそうとした瞬間、下半身にサンドバックか何か重たい物でドスン!と打ち付けられた時のような鈍痛が走る。声にならない悲鳴を上げて、は起き上がる事を諦めた。葉王は仕事だろうか、目覚めた時から姿が見えない。女房に聞いても皆口をそろえて存じません、の一言なので葉王の行方を聞くのは止めた。
 結局その日一日は起き上がれず終いで布団の中で寝て過ごした。当たり前だが一度も葉王には会っていない。マタムネと大体同じ頃御霊にしたの相手をしてくれたので、退屈とは無縁で過ごす事が出来た。いつの間にか陽の傾きも、そろそろ灯りの準備を女房にお願いしなければならないな、と御簾越しに入ってくる光量を見て思う時間にまでなっていた。
 遠くでカンカンカン、と甲高い音がする。この時代に来てすぐに聞いた音で、葉王に尋ね火災を知らせる音だと知った。どこかで火事になっているんだろう。はぼんやりとしていたが、廊下で女房達がそわそわしているのを見て、はっとした。

「葉王…?!」

 西の空が赤く光っている。外を騒がしく人が往来する。カンカンカン、と鳴り響く警報。つう、と頬を涙が伝う。

「私…、私も、あなたの事が好きだったみたい…。ふふ、遅いよね。あなたはもうこの時代にはいないんだもの。」

 重たい身体でゆっくりと立ち上がり自室から廊下へと出ると、部屋の外にいた女房達は恐縮して恵理に対し叩頭した。はそれに目もくれず、麻倉家がある方向を見据えた。

「姫様、」
「何も言わないで。…今晩は誰も部屋に近付けさせないで。」

 女房達は、はい、と返事をしてその場を退いた。いくつもの光の筋が頬を濡らす。の意識はそこで途切れた。



*



、』
「…あ、?ここ…麻倉家?今何時?」
『葉王堂で倒れたを葉明様がここまで運んでくださった。今は夜の11時だ。ほぼ一日眠っていたな。もう大丈夫なのか?』

 大丈夫、と答えたもののの反応は薄い。は首を傾げたが、何も言わずに姿を消した。
 それから数日が経った。葉王堂に行ってからの様子は少しおかしかった。気がつけばぼーっとしている事が多くなったし、部屋に籠りがちになっていた。葉明が様子を見にきた時は普段通りに振舞ってはいたが、空元気なのが手に取るように解った。様子は相変わらずぼんやりしたままだったが、体調がすっかり元に戻ると、はS.F.本戦が始まる3日前に東京へ戻った。
 蓮を助けに中国まで行っていた葉達はすでに炎に帰って来ていて、を出迎えた。久し振りに全員集まった、という事でたまおと竜が豪勢な手料理を振舞うと、夕食はパーティに変わった。久し振りに賑やかな仲間達に囲まれ、楽しいひと時を過ごした。
 本戦前日の夜、皆が寝静まった頃に、は一人屋根に登って空を見上げていた。夜空にはぽっかりと真ん丸お月様が浮かんでいる。

「おやすみ、アンナ。葉。―――いい夢を。」
『いいのか?麻倉家はお前も葉の嫁に、と…。もまんざらじゃ無かった筈なのでは、』
「うん…、」
『心配ごとか?先日麻倉家へ行ってから、いや、葉王堂で倒れてから少し様子がおかしいぞ。』
は…、ううん、何でもない。の言うとおり、少しおかしいのかもしれない。でも、心配しないで。私、決心したの。強くなりたい。明日からはいよいよ本戦が始まる。、ずっと傍で私を助けてくれる?」
『フッ…私は家に千年仕えているんだぞ。これからも、私がお仕えするのはただ一つだ。』

 は顔を見合わせて微笑んだ。それぞれの夜は更けて行く。
 翌朝早くに支度をし、待ち合わせの公園へ急ぐ。すでにホロホロ、ピリカ、竜、まん太が集まっていて、葉との姿を見るとおはようと声をかけた。

「うしっ、それじゃあ行くか!S.F.本戦へ!」

 葉の掛け声に元気よく返事をして四人はピリカ、まん太が見送る中、横茶基地へ向けて出発した。
 横茶基地に到着したのはお昼前で、すでにたくさんの人が集まっていた。媒介なのか、霊なのか…多いな荷物を持つ人、体格がいい人、よりも小さい子もいるのを見かけた。四人はきょろきょろと基地内の出店を見回りながら出発までの時間を待つのに手頃な広さの場所を探していた。

「ヘィ、らっしゃい!」
「おお?シルバ、久し振りだな。」
「カリム?!てめぇまで一体何してんだよ!」
「見て解らんか?商いだ。S.F.運営資金調達活動でもある。何か買って行け。」
「なかなか美味いぞ。」

 蓮!と葉達の声が重なった。
 少し話した後、蓮とも合流し五人はマッドナルトで昼食をテイクアウトしてから横茶基地のメインストリートから少し離れた場所に腰を下ろした。ファーストフードは久し振りで、とてもおいしかった。こうして同年代の子と一緒に食べるなんて、滅多にない貴重な思い出だ。これから先のS.F.にどんなものが待ち受けているのかは知らない。しかし、この五人で挑めることがにはとても嬉しかった。

「それにしても、こんなところへ俺達を集めて、パッチ十祭司は何をするつもりなんだろうな。」
「本当だぜ。」
「そもそも、何故この場所を選んだか、と言う事だ。」
「みんなでどこかに移動するつもりなのかもしれないね。」

 なるホロ、とホロホロがの意見に納得した。はハンバーガーにかぶりつきながら、パッチ、と頭の中で繰り返していた。以前からずっと引っかかっていたが、どこかで聞いたことがあるはずだ。それがどこだったかが思い出せない。

「ちっちぇえな。」

 少年が一人、黒い長髪の髪とマントの裾を風に靡かせて、そこに立っていた。はハンバーガーを口内に満たしていたため声を出すことができなかったが、彼は間違いなく葉王だ。がどろんっと現われて低く唸る。葉たちの持霊も姿を現し、少年を凝視した。

「お前らさぁ、そんなちっちぇえことが気になるのかい?」
「あ?なんだよテメェ、ただの世間話だろうが。言いがかりつけんのか?」
「ははは。そんなつもりはないよ。ただ、そんな口のきき方したら―――それこそ、言いがかりになるんじゃないかい?ホロホロ。」

 突然現れたハオの持霊がホロホロを攻撃した。匂いで現れることを察知したの能力を借りて具現化し、その拳を地に押し付けた。ホロホロは目の前で起こったことに目を見開き、とっさに守るように挙げた手の合間からその様子を見ていた。攻撃を加えた少年はにこにこと表情を変えず、その視線はを見つめていた。

「さすが、だね。僕の持霊の匂いを覚えていたか。…、何の真似だ?」
「…ホロホロがさっき言ってたでしょ。ただの世間話だって。何で攻撃するの?」

 は押さえつけていた拳から立ち退き、牙を出してハオの前に立ちはだかった。

「答えて、ハオ。」
「…現在の君たちの実力がどれほどかを確かめておきたくてね。葉、特にお前はいずれこの僕の有能な手下になってもらう。だけど、まだまだ弱いな。早く強くなってくれよ、じゃないと困る。」
「ハオ様、お戯れはそこまででよろしいのでは?会場に戻らなくては、次の場所へ向かう飛行機に乗り遅れますわ。」

 あぁもうそんな時間か、とハオは持霊、スピリット・オブ・ファイアの影から現れた仲間に頷き返した。スピリット・オブ・ファイアの一撃の反動で地面に尻餅をついているホロホロ、今の出来事に呆然と眺めている竜、武器を構え今にも応戦しようとしてる蓮、に守られるようにして後ろに立っているの順番にハオは見据えて、最後に葉に視線を移した。

「早く強くなっておくれよ。…さもないと、お前は大事なものを失う事になるぞ。」
「どういう意味だ!」
「さぁ…。フフ、いくら未来王ハオでも、そこまでは知らないさ。大切なものは人によって様々だ。だが、そういうものはたいていお前自身の傍にある。…僕の傍にもあるようにね。」

 ハオは葉に対して語るように言うと、を一度見てから仲間に向かって行こうか、と促して立ち去った。
 すっかり姿が見えなくなるで、五人はその場から動けなかった。がいち早く大丈夫だ、と安全を確認すると、ようやくは肩の力を抜いた。少し離れた場所で地面に座っているホロホロに声をかけた。

「ホロホロ、大丈夫?」
「え、あ、あぁ!なんなんだよ、あいつ。」
「さぁな。解らんが、唯一つ判明しているのは、手強い奴だという事だ。」

 解らない、とが答える前に蓮が答えた。先ほどまで程よく暖かったポテトは冷たくなってしまっている。食べようかと一本掴み上げたが、そんな気にもなれず、結局は元の場所にポテトを戻した。

「おっかねー!シャーマンって奴はあんなデカイ霊も持霊に出来んのか!」
「持霊や、あとは巫力も関係あるぞ、竜。ところで、あいつとは知り合いなんか?」
「うん…。」

 は表情を曇らせ、頷いただけだった。ハオの事は麻倉家と家の問題だ。しかし、葉は何も聞いていないようで知らないようだし、この場所には蓮達もいる。関係のない人を戦いに巻き込んではいけない。珍しく言い淀むに葉は言えないことなんか?と重ねて尋ねた。

「言えないことではないんだけど、私自身、よく解ってなくて…。あの、少し待ってもらえる?お祖父ちゃんに聞いたりして、事実を確認できたら必ずみんなに話すから。」
「そっか。んじゃ、また後で話してくれよな。」

 ニカッと葉は笑い、をはじめ、蓮、ホロホロ、竜に向かって行こうか、と促した。

ちゃん、気にするなよな!」
「ありがとう、竜さん、」

 さりげない竜の気遣いに感謝しながら、も葉の後に続いた。
 パッチジャンボに乗り込み、離陸した直後は突然のアメリカ行きにどよめきが起こった。ざわついていた機内だったが、それもしばらくすると収って、今ではみんなぐっすり夢の中だ。
 時差の関係でもずいぶん身体がだるいのだが、どうにも眠れる状態ではなかった。故意に隠しごとをしているわけではないが、葉に話せない事があるという罪悪感からあれこれ考えてしまって、眠れないのが現状だ。

 生まれてからずっと、葉とは一緒に育ってきた。
 麻倉家と家というシャーマン一族の名家で、葉とはそれぞれその家の跡取り的存在だ。千年にも及ぶ両家の歴史の中で、麻倉とは何度も結ばれてきた。良きライバルでありながらも、また良きパートナーでもある。実際、葉明と道孝は葉とを結婚させたがっているようだし、小さい頃からずっと道孝にお前は麻倉の嫁だ、と言われ続けてきたは、将来葉の隣に立っているものだと考えてきた。その考えが大きく揺らいだのは、青森恐山に、葉と二人で麻倉の嫁だというアンナに会いに行った時の事だ。もっともそれ以前から、葉の父、麻倉幹久が連れてきた一つ年下の少女、玉村たまおと出会った時から疑問に思っていた。
 何で私は葉のお嫁さんなの?と葉本人に尋ねた事があった。もちろん彼もその理由は知らない、と答えた。

「『結婚する』って事は、オイラはの事が好きだし、もオイラの事が好きだからだろ?」
「そうだよね。…うん!じゃあ私は葉が好きだから、葉と結婚する!」

 うぇっへっへ、と笑う葉に、えへへーとはにかむ様に笑い返した事は今となっては懐かしい思い出だ。そのころから、は思ったこと、考えたことなどを、包み隠さず葉に話すようにしていた。父、ジョンと母、恵子がいつも夕食時に一日をどのように過ごしてどう感じたということを報告し合っているのを見て育っただ。それが当たり前だと思っていたし、葉もふーん、へぇー、それで?と親身になって聞いてくれた。
 そんな葉に、隠し事をしてしまった。うーん、と唸るの頭上に影がさしたのはいつ葉に打ち明けようかと悩んでいる時だった。

、眠れないのかい?」

 頭上から声が降ってきて、思わず顔を上げると、そこには昼間ホロホロを突然攻撃したハオが、昼間と変わらない笑みを浮かべて立っていた。は内心、複雑な気持ちだった。千年前の葉王は優しい人で無闇に他人を攻撃しなかったのに、現在のハオには、正直恐怖を感じている。そんな感情が表情に出ていたのか、ハオはすまなさそうにごめん、と一言謝った。

が昼間の事を快く思っていないのは知っているよ。だけど、あれは僕を葉達に印象付けるためにも必要だった。が庇ったおかげで、誰も怪我をしていないし、結果的には無事だ。」
「悪いと思ってるなら、最初からあんな事はしないで。私の大切な人達なんだから。」

 は視線を落として呟くように言った。隣で葉が眠っているので、ボソボソと小さな声で話したにも関わらず、ハオにはしっかりと聞こえていたようだ。

「今度から気をつけるよ。…、眠れないのなら少し話さないか?ここでは葉達が起きてしまうだろう?僕の座席へおいで。」

 ハオはの返事も待たずに手を引いて、仲間が席を占めているパッチジャンボの後方へと誘った。彼の仲間は、ハオがを連れてくるのを知っていたのか、二人分の席を用意して、その周囲に腰をおろしていた。ハオの姿が見えるや否や、彼らの視線はハオ、そして後ろからついてきているへと注がれる。その視線に居心地の悪さを感じ、思わず立ち止まったが、ハオは強引に手を引いて、空席へとを座らせた。その一瞬間に何かの合図を出したのか、感じていた複数の視線が無くなった。

「…つい先週、千年前の僕に会ってきただろ?」

 唐突に質問されて、ははっとしてハオを見据えた。彼は依然変わらずにこにこと笑みを浮かべている。

「どうして、」
「僕は千年前の麻倉葉王の記憶を持っている。…と言うよりかは、葉王の千年後の姿と言えばいいだろうか。""が、、君のようにね。」

 それもそうか、とは納得してハオから視線を前の座席へと移した。なんとなく、ハオの顔を見ていられなかった。

「当時の僕は、それはそれは驚いたさ。ある日突然とは違う気配がするのだから。ただ、その異変も、マタムネやには解らないようだった。どうして僕が気づいたのか、それすら今でも僕自身不思議に思うよ。」
「マタムネは、」
「…知っている。500年前のS.F.で会ったきりだったが。…辛い思いをしたね、。」

 そっと頭を撫でられて、は零れ落ちる涙をこらえる事は出来なかった。小さな嗚咽を漏らし、耐えるように泣くエリに対し、ハオはもう一度辛かったね、と言った。

「気に病むことはないよ。僕たちはシャーマンだ。」

 ゴシゴシと擦るの手を抑え、顔を持ちあげてハオはマントの裾で優しく目尻の涙を拭った。

、僕は千年前から一つも変わっていない。姿形は多少違うものの、その魂は千年前のままだ。僕はが好きだよ。だからが好きなのではなく、だから好きなんだ。」
「…私、自分の気持ちがよく解らない。千年前の葉王は好きだったわ。けど、今のあなたは…、」

 少し怖い、は心の中で呟いた。ハオは途端に悲しそうになり、そうか、と返事した。

「ハオ様、到着の時間になった。あと3秒でゴルドバからの指令が出る。」

 ハオとの前列に座っていた子供が言うと、画面にS.F.運営委員パッチ族族長の顔が表示された。大多数のシャーマン達は未だに夢の中だ。そんな彼らにはお構いなしに、ゴルドバは現在の場所、高度、現地の時刻と摂氏を説明した後、重要な事を口にした。

『これから三ヶ月以内に我々パッチ族が営むパッチ村に到着しなければS.F.の参加は認められない。これが第二予選であり、只今をもって開始する!また、この放送が終了後、我々の巫力を用いて作ったこのパッチジャンボは消滅する。諸君らの健闘を祈る!』

 ゴルドバの顔が画面から消えたと同時に、飛行機も消失した。気づいた受験生たちが悲鳴をあげながら落下していく。も同じく声を上げた。

「えぇっ?!」
「落ち付いて。の巫力ならば今O.S.しても余裕で地面に到着できる。…葉達とパッチ村を目指すのだろう?」
「…うん、」
「それじゃあ、ここで一度お別れだ。、先程の事は忘れないでほしい。今の僕は千年前と違うと感じるのであればそうなのだろう。だが、僕は過去も、現在もそして未来も、ずっとだけを愛する。」

 いつも浮かべている頬笑みではなく、ハオは真剣な表情でまっすぐを見つめた。は頬が赤くなっていくのを感じて、ハオからすぐに視線をそらした。恥ずかしくて見ていられなかった。

「…じゃあ、またパッチ村で会おう。」

 が返事をする前に、ハオはO.S.し、部下達を具現化させたスピリット・オブ・ファイアに乗せるとすっと空を横切って行った。は言われたようにをO.S.して、その上に跨る。

、葉達がどこにいるかわかる?」
『葉王が去った方向だな。』

 そう、とは返事をして、をその方向へと向かわせた。
 が葉達の下へ到着した時、思っていたよりも地面が近かった。

「みんな、大丈夫?」
「おお、お前こそ大丈夫なんか?」

 相変わらずゆるい返事には笑みを浮かべての背を軽く撫ぜた。ホロホロがユルーッ!!と突っ込みを入れていたが葉は気にしていないようだった。

「今からを寄せるから乗ってね。このままだと地面にたたきつけられちゃう。」

 エはまず葉、次に蓮、ホロホロ、竜と順番にの背に乗せた。地面をしっかりと見て、を大きく跳躍させると、着地はストンと、軽やかに出来た。滑り降りるようにしての背から下りた蓮が、突然O.S.すると、馬孫の手には葉のヘッドフォンが握られていた。

「ナイスキャッチ、蓮。ありがとな。」
「フン、これくらい他愛もない。」

 うぇっへ、と笑う葉に、もう一度フンと鼻を鳴らし蓮はO.S.を解除した。

 

 

 

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加筆訂正*20090302*