翌朝早く、は自分の高ぶった気持を抑えるた為にも、麻倉家の所有する山の滝で禊を行った。勢いよく流れおちてくる水飛沫を小さな身体で一身に受け止める。太陽がすっかり顔を出すと、ようやくの禊は終わった。濡れた身体を素早く拭き、服を着替えた。冷えた身体を抱きながら葉明がいつもいる離れへ赴くと、彼はすでに準備を整えてキセルを吹かしていた。

「では行こうか。」
「はい。」

 を二人が乗れるくらいの大きさに具現化し、跨った。葉明もひらりとの上に跨るとはゆっくりと歩き始め、やがて景色が流れる位のスピードで走り出した。
 麻倉家の東北、表鬼門を目指して駆ける。そこに社堂があった。何人たりとも侵入できないよう、厳重に結界が施されている。葉明は丁寧にそれらを解除し、を下へと誘った。
 長い階段を下へ下へと降りていく。葉明に持たされた松明の光がなければ最深部まで転がり落ちていく自信がにはあったが、無事に最深部に着く事が出来た。そこは地下とは思えないほど広々とした場所で、少し重苦しい雰囲気が漂っていた。
 ズキン、とした痛みをは頭に覚えた。思わず手を蟀谷に添える。が目敏くの体調を窺った。

『大丈夫か?』
「ん…、頭痛がして…。近づく度に、だんだん痛みが酷くなるみたい。」

 葉明も気遣わしげにを見たが、なにも言わずに社堂へ歩みを進めた。ズキンズキンと頭の中で針が内側を刺すような痛みに耐えながら、も葉明に続いた。
 社堂の中はすっきりとしていて、正面に烏帽子をかぶった青年の掛け軸が掛けられていた。

「この人が"麻倉葉王"。」
「そうじゃ。奴が麻倉の始祖。そしてこれが、奴が残したという"超・占事略決"。千年前の葉王の術全てが記されていると言われておる。その本を開こうにも、結界が施してあっての。力の無い者が開けばたちまち葉王の式に殺されるという事じゃ。」

 は"超・占事略決"に触れてみたが、変化は何も起こらなかった。ふと視線を横へずらすと、小さな箱に気がついた。指輪を贈る時に入れられるような大きさの木箱だ。

「爺様、これは…。」
「それは葉王が""に贈ったと言われておる首飾りじゃ。」

 あった、とは小さく呟いて木箱の蓋をあけた。中には丸みを帯び、艶やかな輝きを放つ水晶がペンダントトップのネックレスが入っていた。手に取り、目の高さに合わせて眺めていると、頭痛はますます酷くなった。あまりの痛さに我慢できなくなり、その場に蹲った。葉明が慌てての名を呼び肩に手を添える。朦朧としてくる意識の中ではその声を聞いていたが、間もなく聞こえなくなった。  意識を失ったの身体を支え、葉明はを呼んだ。

「一時的なものだろうが、ここを離れた方が良いな。」
『そうですね。ここは私にはとても居心地が悪い。あいつがずっと見ているようだ。』
…今のの症状をどう見る?」
『…十中八九、葉王の術かと。恐らくだけに反応するようにしていたのでは?』
「それは可能な事なのか?これはが亡くなってからずっと麻倉が保管していた物じゃ。」
『結論を言えば、可能です。葉王本人が討ち取られる前に術を施していれば…あとはそこにある"超・占事略決"の開封みたく開くだけでいい。それがだけ、厳密に言えば""と同じ魂を持つ者、つまり生まれ変わりであればいい。』

 葉明はの言葉に唸り声をあげながら、器用にの背に乗せた。続いて自身が跨ると、が落ちないように固定してを走らせた。


*


「…めさま。姫様。姫様!」
「っ!」

 が気づいた時、そこは先程まで居た葉王堂でも、麻倉の屋敷でも、ましてやの屋敷でもなかった。は部屋をぐるりと見回した。現代では郷土資料館や博物館に行かないと見れないような家具が揃えられている。また、の身体はいつもより重く感じた。鏡を覘き込んで、思わず声をあげてしまいそうになる程びっくりした。そこにはと同じ顔をした黒髪の女性が映っている。

姫様。麻倉葉王様がお見えになりましたよ。」

 女房の一人が""に扇を渡して退室した。一瞬、何故扇を渡されたのか呆けてしまったが、衣擦れの音で我に返り、慌てて扇を開いて顔を隠した。

「ご機嫌いかがかな、。」

 慣れた手つきで御簾を自分が通れるくらいの広さに上げ、優雅な物腰で"麻倉葉王"は現われた。はドキドキする胸を必死に押えながらにこりと微笑むことで入室の許可と、返事を返す事にした。その様子に葉王はおや、と小さく呟く。何事もなかったかのように葉王は""の正面に腰を下ろし、切れ長の目を細めて微笑みかけた。どこからか、犬と猫がするりと部屋に入ってきた。

、どうしたんだい?いつもは私を迎え入れた後、抱擁を交わし合う。それにマタムネが現れると私のことには目もくれず彼に構うというのに…。」
「そ、そうでしたね。…、」

 は葉王の言うとおりにハグしようと扇を畳んで立ち上がった。慣れない衣装に戸惑いながらも、葉王に近づき、そして座ったままの姿勢で待つ彼に伸し掛かる様な体制でハグした。にとってハグは挨拶の一種で、異性同士で身体を密着させても大して気にならないが、失念していた。ここは現代から時を千年遡った過去だ。ましてや日本人にとって、そういった行為すら少し躊躇するもの。葉王はに悟られないよう驚きを隠して軽く抱きしめた後、再び向かい合って座るようにを促した。
 これで葉王の知る""どおりだろう、とが胸を撫で下ろし、毛繕いをしていたマタムネを呼んでその頭を撫でた。その途端、クツクツと葉王は押し殺した声で笑い出した。

「本当に、どうなされた?いくら私とそなたが恋仲としても、抱擁を挨拶として交わす事はない。それに、」

 葉王は一度言葉を切ってを見据えた。その鋭い眼光にたじろぐ。何かを探る様な視線をに浴びせ、葉王は何か言おうとして結局言うのを止めた。膝の上で気持ちよさそうにに撫でられているマタムネが全くと言って反応しないからだ。邪悪な物では無い、そう判断した葉王は、すっかり縮み上がっているを安心させるように笑みを浮かべ、すまないと謝罪した。

「そなたは""ではないな。だが、害をなす者でも無いようだ。はそうやすやすと浮遊霊などに取り憑かれるような体質ではないし、何よりも、マタムネがそなたに反応しない。そなたは一体何者だ?何故の身体に入っておる?」
「私…""です。といいます。の生まれ変わりだそうです。」

 あぁ、と葉王はどこか納得している自分がいる事に気がついた。とは違う雰囲気だが、一緒にいて心地よいのはの生まれ変わりだというも同じだった。こうなってしまった経緯を尋ねると、は一度言いにくそうに口を噤んだが、ぽつりぽつりと話し始めた。葉王は焦らず、ゆっくりと話すの話に耳を傾け、千年後の未来から来たというに不安に思わなくていいと、優しく言った。

がこの時代に来たのは一時的なものだろう。そういった術がある、というのを以前読んだことがある。ただ期間は解らぬ。明日元の時代に戻るかもしれないし、一年後かもしれない。だが、必ず戻れるという事を保障する。そなたが元の時代に戻るまでは私がそなたを守ろう。幸い、私とは夫婦でね。ずっと一緒にいても怪しがれる事はない。」

 葉王はそう言いながらも、心中は複雑だった。幼い頃、母を殺されその復讐にと乙破千代から奪い取るかのように得た能力―――霊視。この能力が近々葉王を暗殺する計画があると知らせていた。大陰陽師と称えられていても、所詮は上辺面だけの事。水面下では着々と暗殺の準備が整っている。葉王が死ぬまでにが元の時代に戻れればいいが、と危惧の念を抱かずにはいられない。だがその反面で、千年後のの存在を知る事が出来たのは好い知らせだった。自身の魂を来世へと転生させる事が出来る術、泰山父君の祭は術者本人しか施す事が出来ない。その事に焦燥感を覚えていたが、それも確証を得る事が出来た今、もう心配の種ではない。
 その日、葉王とはずっと一緒に過ごした。葉王がいう夫婦という事に少し驚いたものの、書物で言い伝えられていた通りだったし、屋敷の女房達も葉王が泊まって行く事に対してさも当然のように準備をしていた。
 夕餉を終え、入浴もせずに就寝の準備をし始めたことには吃驚したが、それが普通だと葉王が言うとは渋々納得した。その様子が可笑しくて、葉王が笑うとの頬に薄らと朱が注した。

「だって、私の時代では毎日シャワーを浴びるのが一般的なのよ?」

 ぷぅ、と頬を膨らませるはまだ14歳だという。も十代とはいえ落ち着いていて女性としての魅力を持っていたが、幼子のようにころころ変わる""の表情に、新たな感情の芽生えを葉王は感じていた。が一生懸命に弁明するのをにこにこしながら聞いていたが、その様子が気に入らないようで、ますます頬を膨らませる。それを見てまた葉王が笑うものだから、ご機嫌斜めのを宥めるのに少し時間がかかった。

「そんなに笑わなくたっていいでしょ?」
「済まない、はあんまり表情を変えないものだから、ついね。機嫌を直してくれないかい?」
「…私のお願いひとつ聞いてくれる?」
「私にできる事なら何でもいいよ。」

 葉王の言葉には表情を明るくした。葉王は再び零れる笑みを我慢する。

「私ね、あなたと恵理の事を調べていたの。家にあるいろんな書物を見たけど、どれも同じ事しか書いてなくて。明日元の世界に戻るかも知れないなら、あなたの事を聞いてもいい?」

 ほう、と葉王は感嘆の言葉を心の中で呟いた。やはり、なのだ。

「いいよ。けどまいったな…誰も私には関心がないものだから以外に自分の事を話した事が無いんだ。何から話せばいいのか…。」
「小さい頃から順に聞いてもいい?」

 葉王に了承をもらえた事がうれしいのか、は期待の眼差しを向ける。葉王は少し困ったように笑った。

の期待に添えるような話ではないかもしれないが。では、聞いてくれるかい?」

 うんうん、と首を上下に振るに、笑いかけて葉王は自分の過去を話し始めた。
 葉王は都の貧民街で生まれ育ち、幼くして母を失った。その後、どう過ごしたのかわからないが、霊が見える能力を買われ麻倉家の養子になったらしい。麻倉家で教育を受け、今では大陰陽師として名を馳せている。

「お父さんは、」
「さあ?物心ついた時から私はすでに母と二人で暮らしていたからね。父は知らないな。母に尋ねる事もしなかった。」
「寂しくない?」
「…それは当時は寂しかったさ。だがそうも言っていられなかった。流行病で人が死ぬ。それは何も貧民街の人間ではなく、貴族もだ。いつしかそのような感情にも慣れてしまったな。そんな時、私は鬼と出会った。彼がいなければ今の自分はいない。」
「鬼に?」
「恐がらなくていい。鬼といっても彼はまさに鬼らしくない鬼だった。私に読み書きを教え、一般教養を与え…。師であり、友であり、父であり、兄であり、また弟でもあった。彼は私の母以外の家族だった。」

 過去を語る葉王の表情はどこか辛そうで悲しそうだったから、は途中で止めさせようかと思ったが、葉王は続ける。鬼の話になった時、葉王は目を伏せてぽつりと零すように話した。

「彼から私は能力ももらった。人の心が読めるという能力。」
「人の心が読める?」

 が聞き返すと、葉王は悲しそうな笑みを浮かべた。

「そう。いろんな人の心の声が聞こえてくるんだ。だから、私は他の人が私を恐れている事を知っている。また、こうしてと、夫婦の契を交わしても家が私を煙たがっているのを知っている。私はいつでも一人だ。」
「そんな。…でも今は一人じゃないでしょ?がいるじゃない。」

 の言葉に葉王は少し驚いた表情をし、すぐに微笑んだ。

「そうだね。の言うとおりだ。皆が皆、のように思ってくれれば良いのだが…そうではない。強大すぎる力というのもまた悲しいものだね。」

 夜も更けてきてそろそろ休もう、と葉王に促されは布団に横たわった。目を閉じるとすぐに眠気が襲ってきて意識は暗転した。
 仕事で外に出る時以外、葉王はと一緒に過ごした。が元の時代に戻るまでに一ヶ月かかった。その間、あまりに二人がいつも一緒にいるので、家当主はに早く孫の顔を見せて欲しい、と嬉しそうに言った。葉王と一緒にいる時に言われたものだから、葉王も乗り気で頑張ります、と答えた事には真赤になって部屋を飛び出した。後で葉王に連れ戻されたが、恥ずかしさで消えてしまいたいと思った程だ。そんなの態度にクスクスと葉王は笑う。

「義父君にも頼まれた事だし、今晩は仲良くしようか。」
「…っ!私まだ14歳だから、お断りします!」

 の物言いに葉王は今度こそ声をあげて笑った。
 が元の時代に戻る一週間前、葉王はに木箱を渡した。どこか見覚えがあるような木箱だ。はそれを受け取り、何が入っているの?と首を傾げた。

『開けてみてはいかがだろう。葉王様は様がどんな反応をなさるのかとても楽しみにしていらっしゃった。』
「これ、マタムネ。それを言ってしまっては駄目だろう?」
「葉王、ありがとう。開けてみるね。」

 マタムネは先日、寿命でこの世を去ったが葉王の力で御霊として戻ってきた。彼の首には黒い爪が三つ連なった飾りが掛けられていた。は木箱の蓋を開け、あ、と声を零した。丸みを帯び艶やかな輝きを放つ水晶の首飾り。葉王堂で見た物だ。

「これ…、」
「これはそなたに贈ろう。これを持ってが千年後の未来へ戻る事が出来ればいいのだが、おそらくそれは叶わない。だからこれは千年後、の手に再び渡るように麻倉が保管すると誓う。元の時代へ戻ったら、またこうして首にかけて、私を思い出してくれないか?」

 葉王は首飾りをの首に掛けながらそう言った。その時の声音がどこか寂しそうだったのがとても印象的で、はちゃんと返事が出来たか分からない程、葉王の様子が気になった。
 その夜、葉王は近々殺されるだろう、という事をに告げた。書物で読んでいたはそれ程吃驚しなかったが、優しく接してくれた葉王がどうして殺されなければいけないのか不思議で堪らなかった。布団に入っても、なかなか寝付く事が出来ずは隣にいる葉王の顔を見た。電気がないこの時代では蝋燭以外の光源は月明かりしかない。青白く浮かび上がる葉王の寝顔に切なさを覚えた。

「…眠れないのか?」
「起きてたの?」
「熟睡できる性質ではないんだ。…、そなたを抱きしめていいかい?」

 突然の申し出にがぎょっと目を見開くと、葉王はクスリと笑いを零した。しかし、いつものように冗談ではなく、真剣な声音で言う。

「最後になるかもしれないから、そなたを覚えておきたい。」

 は返事をせずにそろそろと起き上がり、葉王の布団へと入った。それを了承の意と取った葉王はぎゅっとの身体を抱きしめる。

「そなたに出会えてよかった。そなたが、の生まれ変わりであるという事が嬉しい。」
「私…今まであなたに言わなかったけど…、爺様やお祖父ちゃんから千年後のあなたを倒すように言われてる。けど、解らない。あなたはこんなにも私に優しくしてくれるのに…。の生まれ変わりだけど、じゃないのに、どうして私に優しくしてくれたの?」
「そなたはじゃないというけれど、私にとってはも同じだったよ。」
「…どういう事?」
「最初に私にお願いしたことを覚えているかい?」
「"あなたの事を聞いていい?"だったかな…。」
「そう。と出会った時も、そう聞かれた。それに、"一人じゃない"とも、言われた。」
もそう言ったの?」
「あぁ。言った。嬉しかった。人の心を読むこ事が出来る能力のせいで私はいつも孤独だった。しかし、だけが私に関心を持ち、そして私が一人じゃないと言い切った。そして、がこの時代に来た時も言われた。家の事を調べている、と言っていたからただ軽い気持ちで聞いたのだろうと思っていたが、話をしていくうちにそうじゃない事に気がついた。そなた、嘘をつくのが苦手であろう?」

 楽しそうに葉王が言うと、はどうしてバレたんだろう、と呟いた。
 
の瞳がいつもまっすぐに私を見ていたからだよ。心を読むまでもない。いつも真剣に、真っ向からは私と会話をしてくれた。そんなを、私は好きになった。」

 突然の告白に、は吃驚して葉王を見上げると額に口付けが降ってきた。

だからではない。千年後のが好きだよ。だから、」

 ―――私と一つになって欲しい。
 そう言って、葉王はの唇に口付けを落とした。

 

 

 

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加筆訂正*20081228*