神燭の連鎖



 夜間にすっかり冷え切った砂漠は空気中の水分を吐き出させ、そして霧となり視界を覆っていた。
 この砂漠の生き物が水を確保する大切な水源。出始めた日の光が霧の中反射し合い、殆どものが見えない状況になる。
 そんな中にして見える影が一つ。厳密には一匹と一人。
 影は冴えない視界の中を黙々と進んでいた。そして上に跨る一人は、頭から膝下まであるマントにくるまっている。が、だらりと垂らされた脚とその履き物から女だと推測できる。
 白い虎に跨る女――は虎の上で、寝ていた。が、すぐに起きた。体を起こしたことで露とも、そして汗ともとれる水滴が額から流れ落ちた。
 は荒い息をしばらくの間続けていたが、ふたつみっつ深呼吸をして最後に大きく肺の中から空気を吐き出し、そして手の甲で額を拭った。そのせいで砂が顔に付いた。

「・・・っ最悪」

 ぼそりとつぶやいて虎の背に再び突っ伏した。
 虎は変わらず黙々と歩みを続け、たまに視界に入る小さな虫を踏み突けては、砂に埋まりながら逃げようとわさわさ動くのを楽しんだ。

 気温の上がりきらないうちの砂漠は、地表が冷えるためにできる露で覆われる。
 日中のあの熱気に比べれば行動し易いが、それでもその気温差・視界の悪さに苦戦を強いられる。
 しかし、虎はそんな事を一切感じさせない足取りで進み続けていた。上に乗ってる女は相変わらず寝入ったままで、指示は出していない。霧に囲まれ、辿る臭いがあったとしても昼間の砂嵐や風で飛ばされているだろう。なのに迷いも無く一歩ずつ。
 彼らの故郷、砂隠れの里に向かっていた。



 暑い・・・・。
 そう思って周りを見渡す。見えるのは一面の砂。
 再び眠ってしまったらしいが気付いた時には、すでに日は上がり空気は乾き切っていた。
 下でグルルと鳴く声におはようと返す。ぼんやりした頭をもたげ、目を擦ると同時に顔についたままであった砂を荒々しく払い除けた。
 里まではまだまだかかるのか、直に着くのか。判断できるものが未だ無いところを見るとすぐ、というわけにはいかない様だった。
 ゆっくりと体を起こし背伸びをすると、首や背の骨がコキコキと音を鳴らす。そんなことを首から足先まで、順に慣らしていった後、バランスよく跨った状態から右足を上げ、体の前を通して虎に横乗りになった。
 そのまま虎の背に身を寄せる。

「ねーえー、まだー?あと何分ー?どこまできたー?ナーレー?」

 器用に虎にもたれ掛かるは、彼女がナレと呼んだ虎に向かって項垂れたまま文句を行った。もちろんまだ着かないことは自分でもわかっているので、あくまで冗談で。
 虎は答えるはずもなく、ヒョロロとだけ小さく鳴いた。

「え?」

 虎がヒョロロと鳴くはずはない。他に何か居るのかとはそこいらを見回すが、何も見つけることはできなかった。
 ヒョロロ・・・
 もう一度聴こえた音に空を見上げる。そこには太陽。眩しい─。反射的に瞼を閉じ手で覆いつつ陽光から背けたものの、痛みに似た刺激で身動きがとれない。
 じわじわと出てくる涙がかえって痛みを意識させる。ぎゅっと瞑ったまま程なくして落ち着いた眩しい中に見える影。それは、遠く上を行く鳶が自分たちの歩いてきた方向へ飛ぶ姿であった。

「あれは・・・木の葉からの伝書・・・?え、ちょっ!もう飛ばしてきたの?!」

 今までの怠惰な空気を一転させ、急いで急いで!!とは虎を急かしてぼふぼふ頭を叩き、走らせた。
 今度は足でしっかり虎の身体を挟み、身体を丸める。
 ついでに風の抵抗を減らすと同時に太陽光線から自身を守るために、羽織る程度にしてあったマントを引き寄せ、身体の隙間、服の裾やベルトに挿み密着させた。
 そうやって十数分走り続けたところで、やっと砂以外のものも見えるようになってきた。
 少しではあるが植物も生えている。
 さらに数分走ると、今度は大きな岩が目の前に現れる。
 高い砂岩の一部分には細長いスリット。この先にの所属する忍びの隠れ里、砂隠れがある。

 ナレに乗ったまま、駆け込むように裂け目を通りすぎた。上手く行き交う人々を避け、そのままの調子で砂一色の街並みを抜けて行く。里に入って数分、色んな細い道を走り抜け辿り着いたのは大きな建物だった。
 建物は曲線からなる帽子の様な形をしている。は建物の前でナレから飛び降り、砂の壁を垂直に駆け上がった。目指すのは最上階。屋上まで一気に上って、ほんのブレもなくぴたっと静止する。
 がらんとした屋上の両端には木で作られた板が二枚あった。歩み寄りその板の片方を蹴り上げると、そこにははしごのかかった穴があった。が、はしごに手を掛けることもなく板の上がった一瞬のうちに穴へと飛び込み、そのあとで反動によって蓋が閉じられる音が穴の中に響いた。
 降り立った部屋は以前自分が出掛けたときのままではあったが、塵や埃は一切無く綺麗に掃除されてことがよく分かる。そんな中に砂にまみれて入ってきた

「ごめんね、ちゃん。帰ってきたらちゃんと掃除するから」

 小さく謝罪をして隣の部屋へと進む。隣の部屋は大きな家具が並ぶ広い居間。その端にキッチンがあり、冷蔵庫の側面にボードを見つけた。
 そこそこの大きさのあるボードは上部に月と書かれており、下は日ごとに予定が書き込めるように線が引いてあった。その中の今日の日付を見つけ、青い字を確認する。
『バキのところで手裏剣』
 見慣れた文字で綴られてあるのは妹のの予定。の任務の都合柄行き違いが多いために作られた、予定を書き込むホワイトボードは妹の提案だ。
 長い間留守にしていたにも関わらず、律儀に毎日書き続けられている。

「バキのところか・・・。都合いいじゃない」

 ふんと鼻で笑って、隣に黒いペンで『明日の晩ご飯はオムライスがいいな』と書き足した。
 それからキッチン横へ入り、今まで纏っていたマントを剥ぐ。顕わになった顔は精悍と言う程ではないが、後ろに流れる黒い長髪と相まって怜悧な雰囲気を帯びている。
 が、マントを脱いだその勢いで、着ていた物を下着まで一切取り払い、そのままにして浴室へ入るところは見た目通り、とはいかないところだった。
 新しい簡単な忍装束へと腕を通すと、綺麗に洗われたそれは肌に心地よく、ここでまた小さく妹に感謝した。
 はここで二人だけで暮らしている。そのため姉妹で家事を分担して行うようにしてはいるが、が家を出る間は、昔からよくお世話になっている人のところへとを預けている。
 それでもこうして家のことを管理してくれていることが、色んな所の端々からわかる。我ながら本当によくできた妹だと思う。
 長い髪を簡単に纏め、鏡で服装の乱れを軽く直す。ここまでの所要時間約十五分。
 よしっ、と気合いを入れ直し自室へと戻ると、入った時の経路を戻り屋上へ。そして同様に同じ経路を辿って、そして今度は一瞬で、ナレのもとへ着地した。


 今度はナレに乗らずに一人で歩く。
 ほぼ里の反対側、子供達が主に演習場として利用いる広場があった。広場と言っても一面砂で、簡単な対象物となるような土塊と丸太が刺されているだけ、影になるものは砂岩の下、といった悪条件ばかりの荒野。
 そんな中でも小さな忍び達は真面目に修行をしている。
 今日は子供四、五人と大人が二人。形だけの低い入り口の扉を開け、ただいまーと声をかける。

「・・・・お姉ちゃん!!」

 声に反応した一人が大きく手を振ってよこした。歩み寄りながらそれにも胸の前で小さく振って返す。
 演習を中止し、駆け寄ってきた妹にもう一度ただいまと言って、頭を撫でた。はまた子供扱いしてっ。と不満気に言ったが、少し歳の離れた妹なのだ。可愛いものは可愛い。
 二人でじゃれ合いながら、が元居た場所に戻った。残りの面子がそこに集まる。

「おかえりなさい。さん」
「良く帰ったな、
「どーも、お久しぶり」

 先生役の大人が声をかける。
 反対に子供達は不思議そうな目でこちらを伺っていた。どうにもこういった空気は好きになれないな・・・なんてことを思いながら二人に話しかける。

「帰りの途中・・・あ、任務の報告はこのあとすぐに書面にするから。で、帰りに多分木の葉からの鷹、見かけたんだけど・・・もう連絡きてない?」
「いや、何も」
「鷹は?見た?」
「解読班が手間取っているとも考えられますし、急ぎの内容でしたら私が確認して来ましょうか?さんがみんなに教えた方がいいだろうし」
「や、いいよ。それよりさぁ、あんた、サボりたいだけなんじゃないの?」

 にやりと下から新米忍者を見上げる。
 ぐっ・・っと焦った表情がなんとも初々しい。

「そんなことはないですよ」
「『バキとお姉ちゃんが揃ったら逆にしごかれる羽目になるから、その前に逃げ出しておこうなんて一切思ってませんから』だってさ」
「へぇ・・・そんな風に思ってたわけ?」
「いやっ、え、ちょっ!!」
「ふぅん・・・。そうして欲しいんだ?」
「そんなこと言ってないですよー!」

 の一言に軽く泣きが入りそうになっているこの男は、中忍になりたてのウキヨ書店の一人息子。がお世話になっているのはこの男の実家である。
 息子が家を出たため静かになっていたところに、新しく娘が出来たと喜んで暖かく迎えてくれている彼の両親はとても気のいい人達だ。
 うん、あとで菓子折でも持っていこう。
 そんなことを思いながらも荒っぽい新人歓迎を忘れずに続ける。

「もうっ!僕だって中忍になってもう二年経ちますよ!!そんなことではへこたれませんっ!・・・・わぁっ!!」

 言いきったところで、彼が虎に変わった。いや、後ろから飛びかかってきた虎に下敷きされた。虎は下の男を上手く踏みつけないように肩口などに脚をおろしてはいるが。

「風影様がお呼びだ。を連れて風影邸に行け」
「あれ?バキが呼ばれてんじゃないの?」

 虎から渡された書簡を見ていたバキが顔を上げる。

「オレは我愛羅を呼び行くからな」

 我愛羅・・・
 バキの緊張した顔を少し見て顔をしかめた。やっぱりまだ一人で・・・。
 が、すぐに違う感情で塗りつぶされる。そして思った、『よかった』と。

「ちょっと!それなら私が行くべきでしょ。私に行かせなさいよっ」

 ダンッ、とバキの真ん前に足を踏み出した。さっきまでの飄とした雰囲気がガラリと変わる。
 下からであるにも関わらず威圧感のある視線を浴びせたつもりだったが、バキは動じなかった。

「・・・まぁ風影邸に行けばわかる。途中までは一緒に行こう」
「気にくわないなぁ・・・。・・・まあいいけどさ。行きましょっか」

 腑には落ちないが、どちらにせよ同じタイミングで呼ばれた以上、すれ違うことはないだろう。そう践んで大人しくバキの言うとおりに事を進めてやろう、なんてことを思いながら素直に従うことにした。
 隣で不思議そうな顔をしているの肩を軽く叩いて足を進めさせる。


 見当違いじゃなければ、もうすぐ中忍試験が始まる時期だ。



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