闇の中、唯一の光源である蝋燭の火がゆらり、と揺れる。
 向かい合う男女の横顔が照らし出された。恋人同士特有の雰囲気ではあるものの、これから愛を育むような甘ったるい物ではない。むしろ今にも二人が別れてしまいそうな、そんな雰囲気だ。
 蝋燭の火に照らされた女の横顔には、光る筋が幾つも走っている。男はそれをそっと拭ってやった。

…すまない。」

 男の横顔が照らされた。その表情は苦いが、瞳には何かを決心したような確かな炎が宿っていた。

「500年後に必ずまた会おう。その時こそ、私たちの夢が叶う。」

 女は泣き腫らした顔を上げて男を見つめ、了承の意を伝える。そこで、暗転した。


*


 は飛び起きた。
 カーテン越しに太陽の光が差し込み、部屋を明るく照らしていた。"また"あの夢だった。着物を着た男性が泣いている女性を慰めて、500年後に会う約束をする。光源が蝋燭ということもあって、部屋は薄暗く二人の顔は良くわからなかったが、知っている面影があった気がした。
 春色めいて来たとはいえ、朝方はまだ少し肌寒い。はベッドの中で大きく伸びをして、時計を見た。普段起きる時間より30分も早い。しかし、今日は麻倉家を訪問しなければいけないことを思い出し、のろのろとベッドから這い出した。

『おはよう、。』
「おはよう、。」

 は足に擦り寄ってきた狗神の頭を撫でた。自他共に認める白くてふさふさの毛を持ったその狗神は仲原家に1000年仕える霊で、現在はの持霊だ。霊といえば、一般認識では半透明で実体を持たないのだが、の巫力が実体化を可能にしている。ふさふさの毛を撫ぜる感触が心地よく、は毎朝アトラスを実体化して頭を撫でるのを楽しんでいた。に撫でられるのが好きで、毎朝挨拶をしては頭を撫でてもらうのが日課となっている。

『今日はどこかへ出かけるのか?』
「うん、麻倉家よ。」
『あぁ、麻倉葉に会うのか?』
「葉はシャーマンファイトを受ける為に、もう東京に行ってるよ。覚えてないの?」

 クローゼットを開けて、は黒の7分丈カットソーに、お気に入りの白いキャミソールワンピースを出して着替えた。よく覚えていないが、このワンピースはが5歳くらいの時に同じ年齢くらいの子から貰った物だ。全身鏡に映った自分を一回転させて服装をチェックし、最後に、にこりと笑顔を向けた。

『じゃあ、何しに麻倉家へ行くんだ?…できたら、には麻倉家に近づいて欲しくない。』
「麻倉家へはお話しに行くってお母さんは言ってたけど…なんで?」

 は答えず、部屋を出て行こうとした。はアトラスが答えないことに首を傾げながらも、いつもの事だ、と割り切ってその後に続いた。実体化しているとはいえでは部屋の扉は開けられない。がドアを開けてやるとはひらりとくぐって2階の自室から1階のダイニングへ向かった。に続きダイニングへと向かう。その途中で顔を洗うことも忘れずに。
 ダイニングへ入ると、祖父と母が朝食をとっていた。いつもはそこにいるはずの父の姿が見えず、はパパは?と挨拶もせずに尋ねた。

「あら、おはよう、。早いわね。」
「おはよう、。ジョン君なら昨夜イギリスへ向かったじゃろう?」
「おはよう、お祖父ちゃん、お母さん。あ、そっか。イギリスに行くってパパ言ってたもんね。」

 は母・恵子が用意してくれた朝ご飯を対面キッチンから祖父・道孝が座る向かいに運び、腰を下ろした。恵子は済んだ食器を流しに運び、道孝とのコーヒーを持ってきた。

「朝ご飯が済んだら、今日は麻倉家に行くから準備なさいね。」
「ふぁい。」

 がパンを口に含み、モフモフしながら答えると道孝が行儀が悪い!と注意した。
 朝食も済み、一度自室に戻るとをオーバーソウルする媒介を身に付け、ポシェットにハンカチ、ティッシュを詰めて肩から提げた。

、行こうか。」

 は無言で頷き、一人と一匹は階段を駆け下りた。
 家から車を走らせて数時間。恵子がついたわよ、と車を止めた。麻倉家の正門前で、道孝、恵子は車から降り、インターホンを鳴らそうと道孝が手を伸ばした時だった。独りでに門が開き、門の内側から現れたのは麻倉幹久の門下、玉村たまおだ。

道孝様、恵子様、様。お待ちしておりました。どうぞ中へ。奥の間で葉明様がお待ちです。」
「うむ。さすが麻倉に鍛えられておるだけの事はあるな、ずいぶんと成長したな、たまお。」
「お褒めに預かり光栄です、道孝様。ですが私はまだまだ修行中の身、もったいないお言葉です。」
「今後も精進なさい。」
「はい。ありがとうございます。」

 では、ご案内致します、とたまおは三人の先頭に立って歩き始めた。
 島根県出雲市の山に囲まれた場所に、広大な敷地を持つ麻倉家はあった。七千坪という敷地面積は麻倉家が力を持っている家柄だという事を証明している。しかし、近代発展が活発な現代ではあの世とこの世を結ぶ者"シャーマン"という概念が薄れつつある。以前は賑わっていたという家も、今は道孝の門下が数人いるだけで閑散としている。それは麻倉家も同じのようで、広いお屋敷にはほとんど人の気配が無かった。

「こちらです。―――葉明様、道孝様、恵子様、様がお見えになりました。」
「うむ、ご苦労であった。下がっていなさい、たまお。―――久しいの、道孝。恵子さんにも。」
「相変わらず、と言った所だな葉明。」
「お久しぶりです、葉明様。」

 こんにちわ、爺様。とも簡単に挨拶をして、葉明と向かい合う道孝の一歩右後ろに腰を下ろした。
 旧知の仲だという葉明と道孝は挨拶も和やかに交わしていたが、突如ピリリと緊迫した空気が部屋を満たした。道孝の表情は硬く、葉明もつられて眉間にしわを寄せた。

「―――さて、単刀直入に言うが、の事だ。」
 
 は引き合いに出されて、その場で肩を震わせた。麻倉家を訪問することは聞かされていたが、内容までは知らなかったのだ。まさか自分の事だとは露知らず、暢気に道孝と恵子の後に付いて来た事を少し後悔した。三つの視線を感じ、は居心地悪そうに崩していた足を正座に戻し、座り直した。

よ。シャーマンファイトが東京で行われる事は知っておるの?」
「は、はい。それに参加する為に、葉は東京へ、」
「そうじゃ。時期は少し早めかと思うたが、先に単身東京へ向かわせ、修行を積むよう言いつけたのじゃ。―――そこで、。おぬしにも葉の下へ行き、シャーマンファイトに参加して欲しいのじゃ。」

 え、とは声を上げて道孝を見た。道孝は少し不満そうにしていたが、を見据えて大きく頷いた。

「でも、お祖父ちゃんがあんなに…、」
「おぬしの言いたいことも判る。だが、事情が変わってしまってのう。振り回す形になってしまったが、もS.F.に、と道孝からようやく許しを得ることが出来たわい。」

 葉明はにかっ、と歯を見せて笑った。道孝は依然として不満顔だが、肩をすくめてに言った。

「シャーマンとしての修行を始めて14年。憑依合体、オーバーソウルと、お前はワシの言うとおりに修行し、習得してきた。シャーマンファイトは500年に一度行われる、精霊王を決める戦いじゃ。これも経験…ならば麻倉と一緒に受けるといいだろう、と思うてな。」
「お父さんが反対してたのは、、あなたの事を心配してたのよ。」
「葉もおる。そして、木乃から聞いたんじゃが、アンナも既に東京へ向かったそうじゃ。」

 アンナが?とは目を見開いた。葉が東京へ行くまで、葉とは度々会っていたが、アンナとは幼い頃に会ったきりで、もう何年も顔を見ていない。それはアンナだけが出雲ではなく、青森県の恐山付近で修行していた事が関係している。は葉明の言葉に驚き、そして笑みを浮かべた。今すぐにでも東京へ行きたい、と強く思った。

「…そうと決まれば東京へ向かうのは早い方がいい。明日にでも出発するといいじゃろう。」

 今日は泊まって行きなさい、と葉明は優しくに言った。道孝は弟子の修行を見る為に、恵子は明日からジョンの後を追って、イギリスへ行く為家に戻ると言って、帰ってしまった。
 葉明はの部屋を用意するように、内線電話を通じてたまおに頼み、キセル一本を持って部屋を出て行った。おそらく、麻倉家が所有する山の奥にある離れへ向かったのだろう。葉明は用事が無い時はそこで過ごすことが多かった。
 しばらくして部屋の準備が出来た、と呼びに来たたまおについて、は奥の部屋から自室に宛がわれた部屋に移動した。日本古来の庭は手入れもきちんと行き届いており、見ていてとても清々しい。後ほど昼食をお持ちします、と言いたまおはさっさと退室してしまった。は縁側に腰を下ろし、庭を眺めた。カコン、と一定のリズムで獅子脅しが落ちる。風がそよそよと吹き、の頬を撫ぜた。瞳を閉じ、背中を縁側の柱に預けた。は自宅とはまた違う自然の感じ方を楽しんでいるうちに、いつの間にか寝てしまっていた。


*


 赤い岩肌が剥き出しの渓谷に、男がいた。""もその場にいた。
 男は""とは違う模様の民族衣装を着ていて、マントと男の黒い長髪が風のままに翻った。どこか遠くを眺めながら、男は優しさが篭った声音で""に話かける。

「族長から話を聞いた。―――身籠ったんだって?僕の子を、」

 えぇ、と""は嬉しそうに答え、まだ目立たないお腹を愛おしそうに撫でた。

「そうかい。本当に、喜ばしい事だ。僕は今、誰よりも幸せだと思うよ。」

 視線を""へと向け、二コリと微笑みながら男はいう。""も少し頬を赤らめながら笑みを返した。

「僕はね、今、自分が欲しいと思ったものを3つも手に入れたんだよ。あとは…、」
「3つ?2つは解るけど、もう1つあるの?」
「うん、3つだ。君と、君と僕の子、そして五大精霊の一つ『スピリット・オブ・ファイア』。そして、最後に手にするのは、」

 五大精霊の一つの名を挙げると""の表情は一変し、一歩後ずさった。男はニヤリ、とシニカルな笑みを浮かべ""が逃げないように手を強く握る。""の表情に男に対する恐怖と憤りが表れた。男は少し目を伏せ、そうだね、と肯定した。

「君が言うとおり、最後の一つは『グレートスピリッツ』だ。『グレートスピリッツ』の意思を言語化できる君は、誰もが喉から手が出るくらい欲しい存在だ。僕が君を護るよ。もう君一人の身体ではないんだからね。」
「今ならまだ間に合う!お願い『スピリット・オブ・ファイア』を返して!私達パッチ族は、シャーマンファイトを運営する中立の立場。その私達が『グレートスピリッツ』を望んではいけない!」
「それは出来ない。『グレートスピリッツ』を手に入れることは500年前からの約束だ。」
「…約束?誰と、」
「500年前の、君と同じ名前の女性だよ。しかし、彼女はこの時代に存在していなかった。僕が未熟なばかりに―――、」

 男は""の手を離した。手首にはくっきりと男の手形が残っている。ごめんね、と男は悲しそうに声を潜めて言い、再び遠くを見るように赤い渓谷を眺めた。


*


!』
様!」

 は柱に凭れ掛かっていた事などすっかり忘れて、声にびっくりして飛び上がった。バランスを崩しそのまま後ろに倒れたので、後頭部を縁側の板の部分にぶつけてしまった。

『ギャーハッハッハ!なっさけねぇーっ!』
『ぶぁっはっはっ!だっせぇ、だっせぇっ!』
「ポ、ポンチ!コンチ!」

 たまおが狐霊のコンチと狸霊のポンチを諌める。は打ちつけたところを抑えながら目でアトラスに合図を送り、まだ笑い続けているコンチとポンチにけしかけた。二匹の霊はアトラスの眼光にぶるり、と振るえ上がりーっ、てめぇ卑怯だーっ!!と叫びながら姿を眩ました。

「あ、あの、様、大丈夫ですか?魘されていらっしゃったので、お声をかけさせて頂いたのですが…。」
「あ、うん。ありがとう、たまお。夢見が悪かったみたい。助かっちゃった。」

 が笑顔でお礼を言った。たまおはほっと胸を撫で下ろし、昼食です、との分を差し出し、すぐに退室してしまった。

『本当に大丈夫か?やはり一度、麻倉葉明に話してみた方がいいのではないのか?』
「…そうだね、爺様なら何かわかるかもしれない。」

 は部屋に設けられた電話の受話器を取り、内線番号を押して葉明へと繋いだ。

 

 

 

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*20060411*
加筆訂正*20080725*