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星が輝く夜に、白い花が一面に咲き誇っていた。
どこかの渓谷のようで、遠くに海が見える。
は眼を瞬く。自分の服装を確認して、なんだ、夢かと頷いた。白いネグリジェに月の光が反射して少し黄色に見えた。
風が白い花を揺らし、の髪を巻き上げる。冷たいと感じてははっとした。
「…冷たい…?」
「おい、そこで何してる。」
は肩を大きく震わせた。背後を振り返ると紅い長髪が風に靡いている。顔は暗くてよく解らなかったが声の高さや、背丈からとそう歳の変わらない少年のようであった。
「聞こえているのか?」
「え…あ、はいっ!」
返事を返さないに少し苛ついた声がかかる。少年は慎重にの様子を伺いながら近寄ってきた。
は少年が近寄った分、後ずさる。少年が眉をひそめた。
「こんな夜中に、何故ここにいる。名は?目的は何だ。」
は心底困った。はっきり言って、自身は先程ベットにもぐりこんで眠りについたはずだったのだ。
「わ、私!気付いたらここに居たの、」
「気付いたらここにいた?そんな冗談が通じると思っているのか?!タタル渓谷は現在、信託の盾騎士団が演習を開いている為民間人の出入りを禁止しているんだぞ?…チッ見張りの兵は何をやっているんだ。」
は耳を疑った。今、少年はなんと言った?
「え、今なんていったの…?ここ、日本じゃないの?」
「何を寝ぼけた事を。ニホン?なんだそれは。此処はタタル渓谷だ。」
少年は言葉遣いこそ悪いものの、丁寧にに教えた。はっきりと場所を言われ、は思わず座り込む。少年の焦った声が聞こえた。
(わ、たし…、さっきまで部屋に居たのよ?なんで…、)
冷たい風には身体を抱きしめ、混乱する頭を必死に整理しようとするが上手く出来ずに、遂に涙が零れた。
突然泣き出したに少年はぎょっとした目で凝視した。
「お、おい、何も泣かなくても…。」
少年はうろたえる。夜中ということで騎士達は数人の見張りを除いて休んでいる。テントから抜け出した事は直ぐに見つからないだろう。
少年は、羽織っていた上着をにかけてやった。先程まで見せていた警戒心は拭いきれていないがが武器も持たず、さらにネグリジェ一枚で居るのを見て大丈夫と判断した。
突然温もりが与えられ、はビックリして顔を上げた。涙で歪む視界に、少年の顔が映る。綺麗な翡翠色をした瞳だった。
「…俺はルー…、…アッシュだ。」
「アッシュ…?」
ああ、とうなずいて少年―――アッシュはの傍に腰を下ろした。
「もう一度聞く。何故此処にいる?」
「わ、からない…の。さっきまで自室に居て…ベットに入って眠ったの。気付いたら、ここに立ってた。」
アッシュは目を瞬いた。…が、どうも嘘を言ってるように感じられなかった。
実際、タタル渓谷の入り口には信託の盾騎士が見張りで立っていて、民間人が入ってる事が出来ない。それに、魔物も出現する。そんな場所に丸腰で、しかも少女が一人で来るだろうか?
「信じるよ。」
「え…?」
「が言った事だ。信じる。明るくなったら俺がヴァン師匠に相談してやる。師匠なら、戻る方法を知っているかもしれないからな。」
「…アッシュ…有難う。」
潤んだ瞳を細めては笑顔を作る。アッシュは照れるのを隠す為にそっぽ向いて鼻を鳴らした。
「だから泣き止め!…女の涙は苦手なんだ…。」
アッシュはもう会う事を諦めた王女に想いを馳せた。大人になったら一緒にこの国を変えよう。その約束は、きっと果たせない。
「アッシュ…元気出して。」
「なっ、何言ってやがる!」
「だって…泣きそうな表情してるから…。」
アッシュはもう一度鼻を鳴らした。だが、の言うとおりかもしれない。
ヴァンに連れられ、こうしてローレライ教団の信託の盾騎士団に入れられた。その途端、もう屋敷には戻れないと宣告された。
厳格な父は自身が居なくなった事で取り乱しているだろう、身体の弱い母はショックに耐えきれず、床に伏せているかもしれない。使用人兼親友は自分自身を責めているかもしれない、将来を誓った王女は…のように泣いているだろう。
「…っ、」
「アッシュ、泣いていいんだよ?ここには私しか居ない。」
「俺は…っ、泣かない…!」
そう言った時、我慢しきれずアッシュの目尻から一筋光が頬を濡らした。はぎゅっとアッシュの手を握る。
異性に触れるのは、幼馴染以来で少し気恥ずかしかった。
ぎゅ、とアッシュから手を握り返されたかと思えば、強い力で引かれた。気付いた時、はアッシュの腕の中に収まっていた。の背中に手が回され、きつく抱きしめられる。顔に熱が昇るのを感じ、また息苦しかったが、あやす様にポンポンとアッシュの背中を優しく撫でた。
落ち着いた頃、空と地面とを分けていた線上が微かに明るくなっていた。
少し赤い目をしたアッシュは恥ずかしさからか、顔を下に伏せている。はその隣で空を眺めていた。星が一つ、また一つと空に消えていく。
「す、まない…。取り乱したところを見せて。」
「ううん…。気にしてないよ。」
「…俺は家に戻れないんだ…。だから、が無事に戻れるといいな。」
「アッシュ…。」
「…気にするな。自分でそう選んだ。だから後悔しない、」
は何か言おうとしたが結局何も言えずに、立ち上がった。夜、咲き誇っていた白い花はいつの間にかしぼんでいた。
「花が…。」
「セレニアの花は夜しか咲かないんだ。」
アッシュも立ち上がった。ヴァンの所へ行こう、とを促す。それに頷いて、がアッシュを追いかけて振り向いた時、異変を感じた。
「アッシュ…、」
「何だ。」
「私、透けてる…。」
え、とアッシュがを振り返ると、すでに半分以上透けてしまっているが居た。
「私、戻れるのかな?」
不安げに尋ねるに、そうだろう、としかアッシュは答える事が出来なかった。そして、アッシュはビックリした。心のどこかで、に消えるな、と叫ぶ自身が居る。
「アッシュ、傍に居てくれて有難う…。一番最初に見つけてくれたのがアッシュでよかった。」
は綺麗に笑った。アッシュは思わず一輪のセレニアの花を摘んで無言でに差し出す。
それをは透けた手で握り締めて、―――そして消えた。
アッシュの手にはセレニアの花が握られたままだった。
「アッシュ!そこで何をしている?!」
「ヴァン…師匠…。」
「渓谷は魔物の住処だ。一人で勝手な行動はするな。さぁ、早く用意なさい。朝食が済んだら直ぐに演習だ。」
アッシュは返事をして、テントをくぐる。
(は、無事に家へ戻れたのだろうか…。)
手の中のセレニアの花見つめて、それを静かに荷物の上に置いた。
雲ひとつない朝焼けの空が一日の始まりを告げた。
*
瀬畑はカーテンを勢いよく開けて、太陽の光を受け入れた。
「お嬢様、おはようございます。今日もいい天気ですよ。」
は小さく身じろぎして、起き上がった。メイドが服の準備をしてにおはようございます、と挨拶する。
は何も変わらない自室を見回して、ポツリと…夢?と呟いた。
「お嬢様、旦那様と奥様がお待ちですわ。急いで準備いたしましょう。」
「あら?こんな所に花が…。」
がベットから這い出て着替えをしている最中にメイドは枕元で花を拾う。それを見ては目を見開いた。―――夢ではなかった!
「田取さん、それ花瓶に挿して置いて。」
「かしこまりました、お嬢様。」
はその花を数秒見つめて、ふと笑みを浮かべた。
(私は戻れたよ…!アッシュもいつか戻れますように…。)
太陽の光はいつもの日常を照らしていた。
10年後もこの場所で
会いましょう
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*20060216*
アトガキ。
時期として、ルーク(アッシュ)が誘拐されて一年後くらいの設定。
このとき、アッシュはレプリカが居る事は知らず、自分は死んだ事になっていると思っています。
ヴァンについて屋敷を出たものの、実は誘拐。そして信託の盾騎士団に勝手に入団させられ、家へ戻れなくなってしまった、という設定でございます。
実践慣れをする為、タタル渓谷で演習中の夜。そこへ、突然現れたヒロイン。…と話は続きます。
ここで描きたかったのは、ヒロイン、アッシュの対面ですが、もう一つ。家へ戻るという事への執着ですかね…。執着、という言葉が適切かどうかは置いておいて…。
突然、見知らぬ場所へ飛ばされたヒロインが元の居場所へ戻る事が出来るのと、それが出来ないアッシュを対比させたかったんです。えぇ、それだけ(にっこり)
ここまで読んでいただいて有難うございます。
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